「不平等に悩む」きみへ
ねえ、ものしりんご。僕たちの社会は、みんなが平等で、自由に生きられるって言われているのに、なんだか息苦しいんだ。周りのみんなと同じようにできない自分を見ると、なんだかすごく落ち込んでしまうんだ。
おはなし、それはね、ずいぶん昔にトクヴィルという人が深く悩んだことなんだ。彼は、僕たちの社会が目指す二つの大きな理想、**「平等」と「個人主義」**が、実は僕たちの心を苦しめる可能性があると気づいたんだ。
「平等」という名の落とし穴
平等なのに、どうして?
昔の王様がいた時代は、身分が違うからと諦めることができた。でも、今はみんな同じスタートラインに立っている。だから、少しでも成功した人がいると、その差がすごく目立ってしまう。それは「なぜ自分はダメなんだ」「不公平だ」という羨望や憎悪に変わりやすいんだ。
「個人主義」という名の孤独
なるほど…。じゃあ、僕はどうしたらいいんだろう。
もう一つの理想、**「個人主義」も同じだよ。自分の力で生きることを大切にする。でも、これが強くなると、人は自分のことだけに集中して、他の人や社会の問題に関心を持たなくなる。そうすると、表面上は自由に振る舞っているけれど、実は誰にも頼れない、「見えない依存」**に陥ってしまう。まるで、小さな島に閉じこもって、大きな海に出られないみたいにね。
平等と個人主義のパラドックス
トクヴィルは、この二つの理想が、どちらかだけを追い求めると、必ず歪みを生むと警告したんだ。
そっか…。平等も、個人主義も、行き過ぎると両方とも僕たちを苦しめる可能性があるんだね。
その通り。この二つの理想は、シーソーのようにバランスを保たなければいけない。トクヴィルが悩んだように、これは民主主義社会で生きる僕たちが、常に考え続けるべきテーマなんだ。君は誰かと比べなくてもいいし、一人で全部を背負う必要もない。君らしく生きるためのバランスを、自分で見つけてごらん。それが、本当の意味での「自由」につながるはずだよ。
ありがとう、ものしりんご!トクヴィルという人も悩んだんだと思うと、少し心が軽くなったよ。少しずつ、僕なりのバランスを探してみるよ。